空港についての感傷

といってもエスカレーターで「ずっと…待ってるから…」とかいうのではなくて。

出張で成田や羽田に着くのはたいてい夜になる。前のモニタで前輪部分に設置されたカメラの画像が映りだすとわくわくする。進入角度が決まったあたりから映りだし、低い雲を抜けて滑走路の誘導灯が見えてくる。その整然と整備された明かりに「おうちはこっちだよー、こっちにくるんだよー」と言われているような妙な温かみを感じてしまう。
逆噴射の揺れのあと着地し、車輪が誘導灯の間を走り続ける。タラップ車が駆け付ける。60のゲートのうちのどこかに導かれる。
「明かり」とか「道しるべ」と象徴的なものについての感傷という側面もあるけれども、それよりもたまらないのは、綿密に整備された機械と人と情報が隙無く組み上げられた空港のシステムそのものだと思う。毎日何百と発着するフライトについての人モノ情報がまるであたりまえのこととしてさらさらと着実に流れ業務が進んでいく。空港は大規模システムのうちでも一般人にその意義が「見えやすい」もののような気がする。システムの提供する確固たる信頼と、その基盤に、夜間着陸のたびに涙ぐむほど感動する。これは自分がインフラ屋だからなのかな?

いよいよ停まるときになると、機首の方向に数名の整備士さんが控えているのが見える。彼等がまずなにをするのかモニタを見ていたいのに、早々と上部の荷物入れを開けだす人がいるので見えなくなった。