孫に尊敬されるばあちゃんになるにはどうしたらいいのか?


「まごごろを 贈ってつかむ まごごころ」

という、孫の日商戦の懸垂幕が三越にかかっていたよ、と連れから写メールが来た。



敬老の日のお返しで孫の日、というのは、あまりにもあまりにもあざといなあ、バレンタインは三倍返しとか合コンは女子は1000円ねとかよりも何倍もあざといよと思うのだが、カネを使う側のお年寄り視点で「贈ってつかむ」イコール「カネで歓心を得る」と表現するのも寒々しい。知識と経験を積んだ高齢者が、痴愚なる幼児の歓心を得んがために嬉々としてカネを払うとは、年齢を重ねることへの信頼や希望を失いそうだ。
しかしながら幼児の歓心を得ることは単純に考えて難しい。尊敬されるべき美徳や、過去の努力、また端的には社会的な地位などは幼児には理解しがたい。(じいちゃんはシャチョウなんだ、というようなガキはいるかもしれないが、それが祖父に対する尊敬と呼べるかは疑問だ)老人は幼児から見れば異質で、独特の加齢臭をはなち、動きが遅いゆえに遊び相手に向かず、幼児のトレンドにも疎く話し相手にもならない。仮面ライダーのことであたまがいっぱいの男子に、自分の我慢と苦労にみちた半生を語ってもなんにもならず、普段の武器の通じなくなった祖父母は伝家の宝刀オカネサマを抜くほかないのだろうか。

となると基本戦略としては長期戦狙いになる。高齢者にとっては3つ子が高校生になるまでの時間などなんでもない。定期的に金品を与え歓心を買い自分の立場を盤石なものとしたうえで、すでに幼児ではなくなった孫が進学だ就職だと社会にビンタをくらっているときにさっそうと現れ、やっと話を聞けるレベルに達した彼または彼女にいよいよ知識や経験を伝え助言を行う。自尊心も満たされ孫は賢く育ち一族は安泰である。

この戦略は万全なようでリスクがあり、孫が育つまでに自分が惚けでしまった場合、または鬼籍に入ってしまった場合は金品を与えるだけで終わってしまう。かくいう私も、祖父母の年のはなれた末娘(長女と親子ほども離れた)がいい年になってから生んだ娘のため、当時千葉の高級住宅街に住んでいた祖父に溺愛され、おでかけといえば日本橋三越で舶来もののドールやミニチュアなどを買い与えられ大食堂でお子様ランチを恣にしていたらしいが、正直全く記憶にない。申し訳ないとは思うが「よくたんがからんでいたなあ」とかそういうことしか記憶にない。社会にビンタをはられる年頃になってようやっと彼が何をしていたか知るようになった。彼と同じ大学に入ることにもなり、存命であったら後に彼を喜ばせることもできただろうと思うと、もらいっぱなしのうえもらっていたことすらほとんど記憶にないのが心苦しい。孫に尊敬されるばあちゃんになるには、最低でも生きていることが必要だ。


・・・あと、それ以前に、娘を産んでその娘がいい年にならないうちに子供を産んでくれることも必要だった。