味の記憶

美容院で、カラーしている間暇だったので、置いてあった「東京カレンダー」を読みながら、載っているフレンチやイタリアンの料理の味を頭の中で再現してみるという遊びをしていた。ここは内臓専門店かー、内臓専門のフレンチって一回行ったことあったな、どんな味だったけか、とか知識と経験を総動員してみる。わからないものは適当な味付けで。知っている味を頭の中で再現できるか想像してみるくらい味覚の経験に集中するのを恒常的にすると、本当にまだ知らない食べ物や知らない味付けを味わった時新鮮さも著しいのだろうか。

夜食にフジッコの黒豆を食べた。どうやって大量生産しているのかわからないけれど、どれもふっくらと、皺なく煮えている。おいしいと思う。158円だけど。
黒豆をふっくら煮るのは難しいと母が言っていた。年末になると、良い黒豆を買うべくいろいろ探して、こだわって作っていた気がする。でもフジッコのでも充分おいしいよ。どう違っただろうか。味って、そんなに細かく覚えていられるのかな。思いだすことはできるんだろうか。おいしいものを食べに行こう、として「意識して」いるものは覚えていても、普段食べているもの、食べていたものの味って、脳のどこかに残っているのか疑問に感じる。