家族が大事ならまず自分を思いやること

うーん。終わらない。現在23時。サーバの陰に隠れてこっそり「さくらもち入りとら焼き」をほおばる。

PMの一人I氏(3児の父)は午前6時から作業の監督をしているという。「あ〜腹減った。腰にくるよ」
聞くと午前6時以前にとった朝食以来何も食べていないという。
「え、食べてきてくださいよ!買ってきてありますよ!家族のいる人がそんなことしてちゃだめですよ!」
というと、「いや、大丈夫」と笑ってサーバ室を離れようとしない。其の後何度か勧めてみてもサーバ室を離れようとしない。
彼だけがサーバ室入室の虹彩認証を登録してあるので、彼がいないと確かにだれも入退室できないのだけれど、それでも15分抜けて困るってこともない。

「Iさん、食事してきてくださいよ。こんな時間まで働いて、朝食しかとってないって聞いたら、私が家族だったらびっくりして泣きたくなっちゃいますよ。」

食事は些事なのだろうか?まぁ、それくらい、たいしたことじゃない。そんなことぐらいでごちゃごちゃ言わない。私は平気なのにどうしてそんなことで悲しむ/ごちゃごちゃ言う? 
そういうスタンスの人は多い気がする。しんどさに慣れても、体はゆっくりダメージを受けていく。つらさに慣れて笑っていられるようになんて、自分の子供に、奥さんに、なってほしい?食事もとらずに18時間働いていることを家族に勧めたい?そんなわけはないはずなのに、自分の体には平気でそれを課している。どうしてなの?

こういうインスタンスから、「労働と身体イメージ」について考えていきたい。