結婚式、起きた奇跡、起きなかった奇跡。

昨日、4月29日は自分の結婚式でした。
場所は池袋の自由学園明日館。
結婚式の日って、来るんですね。そして終わるんですね。

起きた奇跡は、お天気がすばらしくよかったこと。
朝、起きるなり、がばりと外へ飛び出して、
「晴れたぁ・・・!」
前日はひどい天気で、数時間ごとに複数の天気情報サイトをリロードして一喜一憂していたのだけれど、打って変わっての晴天。
控え室でメイクをしながら、ちょっとづつ青の色が増していく空を見ながらうれしさが増してきました。
週末の朝ちょくちょくランニングしては見に来ていた挙式前後の屋外での写真撮影。
これができたのがうれしかった。

起きなかった奇跡は、母がやっぱりこなかったこと。
前日、「行くべきなのであろうがどうしても自分の気持ちがそれを許さない」という主旨のメールが届きました。
結婚式をやることにしたのは、母の気持ちに添うものではなかったので、これは責めることはできないけれども、ちょっとは期待していたので、気持ちがくじけかけました。
仕事場が式場から徒歩五分くらいなので、きっと門の外で、桜の木の陰からこっそりのぞいているんじゃあないかなんて思って、見つけたら絶対につかまえようと思っていたけれど、忙しくてできなかった。いたのかな。
しかしながら、興味深かったのは、誓いの言葉で連れ合いが挙げていた、私の美徳、というか性格は、この母の性格そのもので、私の親戚はみんな気づいていたと思うけれど、それはある意味、別の、起きた奇跡なのかもしれないと思うことにする。

そうこう、いろいろとあったので、式の最中泣くかなと思いきや、クソ度胸とか舞台根性というものが途中から頭をもたげてきて、「やりきってやるぜ!」みたいな気分になってしまいました。退場後プランナーさんに「今の心境はどうですか」と聞かれ、「いや、もう、計画通り!!です」と新婦らしからぬ回答をする。企画したものがシナリオ通りに進み(進行がスムーズに進み)、期待した効果を上げられる(喜んでもらえる)って嬉しいじゃないですか・・・でも表現が悪いよね・・・。おまえはKira様か。

一番涙腺がゆるんだのは、小学校時代の友達で、文通は大学生ぐらいまで続けていたけれど一度も会わなかった友人が列席してくれているのを証明書サインの時に見たこと。疎遠になってしまった友人が来てくれる(来てもよいと思ってもらえる)というのは、自分ではなんともできないことなので、本当に嬉しかった。疎遠になってしまっていた友人、それと母方の親戚とまた会えたこと、このためにまた連絡をとりあうようになったこと、これは、起きた奇跡、まさに結婚式の力というものかなと思いました。