空しさの因数分解2月14日編
nalo(仮)さん
おつかれさまです。○○です。
口頭で話せないので、メールにしました。
2/14(月)、いちおう、バレンタインディです。
CSの女性から男性へチョコを送りたいと思います。
△△さんが代表で全員分買ってきてくれる予定です。
naloさんは参加されますか?
個人的に予定がある、別にあげなくてもよいと思っているのであれば参加の必要はありません。
金額は参加人数にもよるのですが、1000円未満です。お返事お待ちしています。
○○
木曜、こういうメールをもらい、考えて参加することにした。
昨年、「会社のバレンタインの日」は14日ではなかった。それ以前に会社でそんな行事を執行する人がいると思っていなかった。午後、各男性の机には、「女の子たちから」との旨のチョコレートが置いてあった。その「女の子*1」のなかに自分は入っていなかった。にもかかわらず、お返しはもらってしまった。(おとりよせプリン)「自分は違う」とも言いづらくそのままもらってしまい、非常にきまりのわるい思いをした。
本日この行事に対して非常に不愉快な気分がする。どうにも不愉快なのでどうしてこう不愉快なのかちょっと考えてみた。
- 去年お返しをもらってしまってきまりの悪い思いをしたのでそう思わずに済むよう、参加して金銭を負担してしまいたい
- でもこんな行事に参加するのは自分としては嫌だ
という葛藤がまずある。はなからなけりゃよいのにと思う。
次になぜ嫌なのかだけれど、「義理/義務/儀式バレンタイン」そのものがキライなわけではないようだ。覚えているかぎりでは、サークルの同セクションの同輩・先輩4・5人にお菓子を選ぶのは楽しかったし、それに多少の時間・金銭コストをかけることにも抵抗はなかった。(人数が少なかったせいもあるかも)自分はチョコレートが好きなので、自分が食べられないのも多少不満だが別にそれが問題でもなさそうだ。
集約するとどうも下記2点になるような気がする。
「1 イベントとしてつまらない。」「2 この集団に参加したくない。」
- イベントとしてつまらない。
- 全て人任せなので、自分が企画・参加できる部分がない。
- 同じものを贈るので、相手のことを考えながら選ぶ「プレゼントの楽しみ」がない。
- 連名なので、「自分があげた」という自己満足が全くない。
- コストのかけ方が中途半端なので、包装も中身も、とにかくモノがしょぼく、もらっても殆ど嬉しくないことが容易に見て取れる(300円じゃぁなぁ。)。
- つまり、あげるほうももらうほうもさっぱり嬉しくない。
- この集団に参加したくない。
- 漫画やドラマに出てくるような「OL」演技に従事する女性に魅力をあまり感じない。
- せっかくこれでも外資系なのにいまどき会社でバレンタインをしようという古臭い発想に魅力を感じない。
- あげるほうももらうほうも嬉しくないようなイベントを立案してしまう企画力に魅力を感じない。
- 研究合宿の際あまり大人らしくない態度でハブにされた。(苦笑)
どちらか一方だけでも十分嫌な感じがするけれど、考えてみると、「1かつ非2」つまり「イベントとしてはつまらないが、実行している集団に対する不満があるわけではない」だったら別に不快感はない。同様に「非1かつ2」、「実行している集団はいけ好かないがイベントとしては面白い」は、自分のかかわり様次第というか、要は仕切ってしまえばいいだけのことでこれもたいしたことはない。(←それもどうなんだ)
何か不快で落ち着かないときはこの程度まで問題をバラすと少し落ち着く。「仕切りたがり」プラス「他人に対する蔑視」とすると落とし込み過ぎて自分マニア化してしまうけれど。こんなことをタラタラと考えているのも熱のせいと思いたい。
*1:自分以外の女性は5人。仕事内容も席も遠いので普段話すことはない