どっぷり建築漬けツアー強行軍12hours・1

日曜、なぜか建築素人は自分ひとり、という濃いツアーに畏れと恥を忘れて参加。

あの「ホワイトベースだぁ!」の、「江戸東京博物館」の建築家、菊竹氏の個人邸宅。
むかぁし見た写真では、「中に浮いた建物」のはずだったけれど、現在はそのスペースに居住空間が追加されていて「スカイハウス」の印象は薄い。
「スカイハウス、じゃないじゃん!」と思ってしまうけれど、これがこの建物が持っている「メタボリズム」の思想に基づくもので、最初の奇抜な形を残すことは重視していないんだよ、ということを表明しているのかもしれない。新しさは形そのものではないということかな。。。

資料。
http://www.geocities.jp/s_uratti/architecture/kikutake/skyhouse.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/serizawa03.html
http://www.linkclub.or.jp/~hiro335/a_map/tokyo_59.html

日曜のミサ中に闖入。
そとから見ても驚くが、中に入った時にはその演出効果にすっかりやられてしまった。
カトリックの教会のカテドラル、というと、先日見に行った神田教会のように、「ロマネスクまたはゴシック、極彩色のステンドグラス」の印象があったけれど、ここはコンクリート打ちっぱなし。(よく宗教関係者がゴーサインを出したな)
それが、入ると、暗い洞窟のなかにあるかのような印象で、正面の石からこぼれる光に、宗教心の無い自分ですら圧倒される。
去年「建立40周年」とあったけれど、その新しさに驚く。
ただ、正面にぶら下がる垂れ幕「主よ、我々とお泊りください」はなんとかならんのか。聖書にある言葉なんだろうけれど、「お泊りください」ってのが観光地の垂れ幕みたいでちょっと間抜けだ。

資料。
http://www.tokyo.catholic.jp/katedoraru.html
http://www46.tok2.com/home/arc/tokyo/bunkyoh_ku/tokyo_bunkyoh_01.htm
http://www.linkclub.or.jp/~hiro335/a_map/tokyo_55.html

新法王誕生のせいかミサの参加者は多く、構内ではバザーや各国料理の屋台が立っていて学園祭のようだった。懐かしいキリスト教絵本の販売なども。時間がなかったので見られなかったけど、又来て今度はこっちも楽しみたい。

本日の目玉の一つ。大江戸線にこのデザイン・アートの場を設けることを企画され、資金調達のリーダーとなった、仕掛け人の方のガイドで歩く。
26駅の大江戸線プロジェクトの中でも、もっとも極端な資金分散計画をもって作成された、代表作。
他の駅から遠くて、とにかく階段が深くて「マリオブラザーズ」みたいで、変なかたちのためどっちに乗ったらいいのか分かりづらくて、名前が変。という大江戸線に、デザインが果たしている役割はどんなものなのか?
今回うかがうことのできたお話しは、普段うかがうことのできない、「お金の話」。地下鉄って一駅いくらなの?って言われて即答できる人はまずいないけれど、それを知っているのがお役人と銀行員。
駅を作る。普通予算は決まっている。普通に作れば見た目も値段も普通のモノができて、普通のリベートがゼネコンのぽっけのなかに落ちる。
それを、コンペ形式+予算配分の柔軟さによって、予定予算の半額程度で、個性的な(場所によっては個性的過ぎる)駅が出来上がった。

また、凝ったものを作っても、メンテナンスされないと汚くなってしまう。公共建築の場合、メンテナンス性・可用性が重視される。
ちゃんと掃除されていないのはその費用をぽっけに突っ込んでいる奴がいるからだ、と、公共施設の清掃会社にも関わった経歴を持つ仕掛け人氏は語る。
お役人の作ったものは可用性が考えられていなくて、その場限り、長期的な視座やメンテナンス性に欠ける、ということを仕事の中で最近よく感じていたが、システム設計における問題も、こういった公共施設設計における問題も、共通するものがあるだろう。
まだまとまらないので何だが、また次回の見学会(今度は他の駅も。)にも参加して問題意識をまとめられたらいいな。

http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/stationdesign/
http://www.makoto-architect.com/subway/sub_j.htm