「不思議の国?――ベルギー・フランス語共同体の文学と芸術」

第2回LAC国際シンポジウム「不思議の国?――ベルギー・フランス語共同体の文学と芸術」

パネリスト

ジャン=フィリップ・トゥーサン(作家)
待ってました。「浴室」「ムッシュー」「カメラ」「ためらい」「愛し合う」等の著作が日本でも人気の、ベルギー人フランス文学作家。
岩本 和子 (神戸大学
ベルギー文学の専門家。
小林 康夫 (東京大学
「知の技法」で有名な「駒場ソクラテス」。「フランス通からみたベルギー」を語らせるために駆り出された(本人談)
野崎 歓 (東京大学
 司会:トゥーサンの著作全ての日本語訳を担当。既にトゥーサンとはツーカーの仲(に見えた)。

主催 「文学・芸術の社会的統合機能の研究」

http://www.lac.c.u-tokyo.ac.jp/laccolloque.html

講演の概要を、トゥーサンの発言を中心にメモと記憶の限りに。。。

講演会の趣旨

主催団体LACは、文学・芸術と共同体のかかわりについて研究している団体。今回は、ベルギーのフランス語文学について取り上げる。
ベルギーは歴史の古さと国家としての新しさ(建国175年)が背反する国であり、またオランダ語(フランデレン語)圏/北部地域とフランス語圏/南部地域に文化的に分裂している。この状況下で、従来なおざりにされてきたベルギーのフランス語圏文化が今ヨーロッパで盛り上がりを見せている。しかし、彼らはフランスやさらに諸欧州諸国に活動の拠点を求めてベルギーを離れていく傾向がある。
ここでベルギー人のフランス語作家であり、主にフランスで活動し、著書が世界中で翻訳されているところのJ=P・トゥーサン氏に現在のベルギーのフランス語文学について語っていただく。

トゥーサンのスピーチ

カンヌ映画祭での、ダルデンヌ兄弟パルムドール受賞(「ザ・チャイルド」)など、文化面でのベルギー人の活躍がフランスで注目されている。
映画以外でも、オペラ・ダンス・文学などさまざまな分野で目覚しい動きが見られる。
彼らは、ベルギーのうちでも、従来文化活動を重視していた北部フランデレン地域(オランダ語圏)ではなく、文化活動に低い優先度しか与えていなかった南部フランス語圏から出ている。

現在フランスでは、「フランス文学者の二人に一人はベルギー人」と冗談めかして語られるほど、ベルギー出身の作家が多い。「ベルギーのフランス語文学」か、「フランス語のベルギー文学」か、といった議論があるが、文学者にとってみれば明白だ。シャルル・ベルタンが言うように、「我々はフランス文学の言葉の共同体に属している」のであり、精神的な祖国とは言葉そのものである。(それがフランス語だ。)
またベルギーには、国家のアイデンティティを負うような母語がもともと存在しないので、「(ベルギー人としての)アイデンティティは国家と言葉のどちらか」といったような問いはそもそも意味をなさない。
私のポジションは、(昔の作家のようなそれとは異なり、)ベルギー人というよりもヨーロッパ人としてのほうが大きいと考えている。そしてそのようなポジションは、大きな国よりもむしろベルギーのように小さな国で顕著に見られるように思う。
自分はフランス語で主に書き、英語やドイツ語やイタリア語をかじり、著書は十数カ国語に訳されている。というわけで現在の自分は「小さな国で、大きな言葉で書く作家」といえるだろう。

岩本氏の講義(抜粋)

1830年代の独立以降の、ベルギーの文学の歴史を概説。

  • 1830-1880年ごろまで:ベルギー文学は存在せずフランス文学のコピーのようなものが出回っていた。しかし、特定の文学がナショナリズムの高揚に有効であるとの認識は生まれ、歴史・伝承などに題材をとった「国民文学」の創設が目指された。
  • 1920年ごろまで:ベルギー象徴派の台頭。フランスに対する独自性を主張するため、フランデレン(オランダ語圏)の作家が、フランス語を使用して、ゲルマン的な題材をもった著作を発表する。代表的な作家にメーテルリンクなど。
  • 1950年代以降:オランダ語圏の台頭により、フランス語圏文化はフランスと一体化。

ベルギーにおけるフランス文学作家のアイデンティティは、彼らと「フランデレン(オランダ語圏)」、そして「フランス」との関係それぞれにみることができる。
フランデレンに対しては、(同じ国民なので)言葉の違いを強調する。フランスに対しては、民族性を強調する。

小林氏の、トゥーサン作品の「ベルギーらしさ」

  • 「戻ってくるために出発する」(「浴室」のベネチア旅行を例に。これと、メーテルリンクの「青い鳥」「ペレアスとメリザンド」をリンク。)
  • 「深いところに届く方法としての『傷をつける』と『愛し合う』」(「浴室」の、彼女にダーツをあててしまう顛末、また、作品「浴室」と「愛し合う」の類似構造について)

トゥーサンとパネリストとの質疑応答(抜粋)

岩本氏から

Q「トゥーサン氏は「ベルシシズム」と呼ばれる、ベルギーでしか使われない、特定のフランス語の用法を使用しているが意識的なものか。」
A「ベルシシズムは、単に方言・文法の間違いであるものもあるが、フランスでは既に廃れてしまったがベルギーには残っている古い言い回し、というのもある。
自分は後者を、フランス語を豊かにするために、意図して使用している。」
Q「ベルギーの文学賞、ロッセル賞を受賞しているが、なぜ受賞に至ったのか」
A「受賞には、住所・国籍は問われない。ベルギーでは、国家と芸術が何の関係も無いので、アーティストは国外で活躍することも自由である。」

映画「浴室」からの抜粋

野崎先生から「では、トゥーサンの作品のなかで、最もベルギー人らしいところを見せましょう」と紹介された1シーン。
主人公がベネチアのホテルにこもってダーツをしている。フランスチーム対ベルギーチームの試合という脳内設定。
『やった!わがベルギーの優勝です!!』一人芝居で大盛り上がりの主人公。あきれる彼女。
ナショナリズムを笑いにしている点を小林氏が指摘。

トゥーサンの結びの挨拶

自分はベルギーを舞台にした作品を書いたことはない。ベルギーは、「不在の中心」であり、いつか書くかはわからない。いつかそこに帰るかもしれないが、まだわからない。
また、私達は、自分達の持っている知性を、普段本当にどうでもいいことに使ってしまっている。
どうでもいいこととは、つまり私がどの程度ベルギー人らしいかというようなことで(笑い)大事なことは日々の営み、それは小説を書くことだったり・・・。