ポケットの中の違和感

退去手続きに、マスターキーの返却が必要だという事で、母に鍵を渡しに行った。

爪を切ったので上手くキーホルダーを外せない。

鍵には「HOME」と書いた小さなタグが付いている。

「これで実家が無くなったねぇ」言わないでもいいようなことを母が言う。「まぁ実家と言っても仮の実家だけど」結局自分が暮らすことがなかった場所を娘の実家とは言いたくないらしい。

ようやく鍵が外れる。
「なんだか少し感傷的になるねぇ」というと「始まりだと思えばいいのよ。ほら『これまで起きたこと全てはこれからの序章である』ってシェイクスピアの台詞があるじゃあない。私これ好きなのよ。まぁ、池袋が実家だと思いなさいな、実質の」

普段生活を共にしていない人と、生活のターニングポイントだけについて話すと、それは妙に壮大で、また突飛に感じた。足場のない言葉を、自分はうまく受け止められなかった。鍵を手渡して帰った。

家が見えてきた頃、ポケットに手を突っ込んで鍵をまさぐった。一本減った鍵束は軽く、手の中に違和感が残った。一本だけの鍵を使ってドアを開けた。キーホルダーを替えようと思った。