東松照明展「愛知曼荼羅」@愛知県美術館

憂い体を押して栄の愛知県美術館へ。
工場!ダクト!コンビナート!
そういうものを、キリキリとあわせたピントで捉えた写真が好みなので、美術展のトップ画像にもなっているこの写真を見て期待。
愛知県美術館のサイト)http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
しかし行ってみると結局、そういう写真はごく一部だった。でも、よかった。想像していたのとは違うけど大満足。
この展覧会での中心は、主に1950年代の(彼は20代)作品で、戦後の名古屋の町並みや市井の人々、、焼き物の町・瀬戸の人々の労働のさま、
また伊勢湾台風や水害の様子など、愛知県で撮影されたものを中心に構成されている。(ちなみにコンビナートは、中学校の社会科で習った、四日市コンビナートだ)
戦後の、市井の人々の写真で驚いてしまった。いままで、自分が見てきた「昔の写真」は、ちょうど教科書がそうだったように、はなからピントもぼけているうえに、コピーを繰り返されてぼけぼけになったものだった。
それしかないので、そのぼけ具合そのものを「ノスタルジアの記号」と感じてしまうほどだった。(よくそういう素人臭い加工がある)
しかしこれらの写真は、ぼけていない。精緻なピント、大げさではないコントラスト、自然な表情(と、ちょっと面白い構図)が、あまりにも鮮やかでくっきりしているので、すぐ前にこの人たちがいるような気がしてくる。
ちょうど、マジックミラーを隔ててすぐ先に、ぼろぼろの和服の老人が、坊主頭の子供が、手を伸ばせば届くような距離にいるような気さえしてくるくらいに、近い。
自分の認識の中で、「教科書の写真」としてのおぼろなものだった「昭和」が、窓を一枚隔てた隣の人々、という距離にまで近づいて感じられたのは本当に驚きだった。

写真にはおかっぱの少女と五厘刈りの少年がたくさん写っており、ちょうどこれは自分の両親なのだなぁと思うと感慨深い。

http://www.fujifilm.co.jp/photographer/2004_04tomatsu/index.html