テロリズム的ロケハン(愚痴)

新宿駅で、駅貼の巨大なポスターを見てぎょっとした。「拝啓、父上様」というドラマの番組宣伝ポスター。
飯田橋の「CANAL CAFE」が大写しで写っていた。

飯田橋の端の下、外濠に面するデッキに浮かぶ喫茶店兼イタリアン。
桜の時期は都内屈指の絶景。(喫茶店のほうの食事はおいしくないが安いし)

自分の好きな店がテレビで取り上げられるのは、そのファンにとってはほとんどテロ勃発に等しい。
(まぁよっぽど「いいのに流行らないね、つぶれてしまったらどうしよう」というような場合を除き)

フジテレビによる公式サイトによると、神楽坂の料亭を舞台にした「人情モノ」のドラマで、かなり地域性を重視している様子が見られる。
良く扱うにせよ貶すにせよ、大メディアで取り扱うということは、流行る、流行らせるということ。
流行るということはそれが廃れるということ、流行らせることはそれを壊すこと、だと私は感じる。

人が集中することによるサービスレベルの低下、それによるイメージの低下、その町に流入する人とゴミを許容してまで振興する必要があるのだろうか。
「地域に根ざしたドラマ(テレビの、という意味ではなく人間ドラマという意味)の何が悪い、人間ドラマに地域性はあって当たり前だ」という考えも否定できないが、神楽坂のような、すでに振興する必要も無いような、人気のある地域をテレビドラマの舞台にするのは、「(人気のある)おしゃれな街を舞台にしたい」という安易な考えではないだろうか。
(しかもテレ東でなくてフジだし・・・)
違うというなら、南千住や西川口を舞台にして、「○○*1エストゲートパーク」くらい流行らせてみろ!

こういう考え方は懐古主義者なのかな?排他主義者なのかな?
しかし、再生産のできない「場所」というものについては、情報ほどには、広く知らしめること、共有することを喜べない。

まぁ映画・ドラマのロケハン、観光地化、地域振興とその否定的側面についてはいろいろ議論があるようだし、観光社会学などもひとつのヒントになりそうだ。そういう方面にすこし手を伸ばしてみようか。

*1:もう貶す必要もないくらいあらかじめ貶されている、下品な繁華街として有名な私のホームタウン