働きマンにあってわたしには無いらしいもの(ぼやき)

今週頭までの「端的に体がキツイ」系の作業が一段落したあと、疲れが抜けずモチベーションも低下気味。
別にストレスもないけれど、新しい仕事もどんどんふられる。一個は短期であまり深く掘り下げないヒアリングもの。でも4月からのフェイズのためには超重要な前段階。もう1つは社内でのサービス開発。それから、おととしの年末からかわいがってきた製品のバージョンアップのための検証。これは楽しみ。
充実しているんだろう、という気もするけれど、「ちょっと落ち着いたら・・・」の「落ち着いた」が見えない。「落ち着いた」は来るんだろうか?自分が「落ちた」ときがくるだけなんじゃないか?ちゃんと泳いでいるのか、おぼれているのかの区別が付かない。多分泳げているとは思うんだけど。
働きマン」をいまさら買ってまとめ読みして、こんだけキツくても主人公がもっているのは、「編集長になる」という目的を据えているからなのかなー、(主人公が、じゃなくて、作者が、だけど)と思った。先が見えないのにものすごくキツい中を根何年ももがき続けるなんてできない。自分はそれに相当する目標があるかといえば無い。しかしながらこう考えるのも漫画やビジネス書や自己啓発書で「目標がなくちゃ症候群」になっているだけで、別に目標なんてなくてもよいのかもしれない。(少なくとも仕事があるだけで幸せだと思っている)
要領よくなるだけでは腐る。でもまだそれらしい目標、というのは持てていない。