とても良い。「2年目女子ですが、いいですか?」日経アソシエ

日経ビジネスオンラインの連載コラム「2年目女子ですが、いいですか?」がとても良い。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080409/152676/

(以下引用斜体)

このコラムについて: 社会人と、学生の間に、あるいは女子社員と男性管理職の間に、単純な言葉の意味の取り違えから発生するギャップが、「働きたい」気持ちを邪魔している。「学生気分が抜けきらない社会人」である2年目女子には、そのズレが目について目について「それはきっとこういうことですよ」と、ひと言言いたくてたまらないらしい。社会人と学生、両者の境界線上からストレートに、精緻な分析よりも、あえていまそこにいる筆者の目線を最優先してお送りします。学生の方、社会人の方、ぜひご意見を。

連載といっても約1年で3回しかないのだけれど、各回のタイトルにはドキッとさせられる。

「私、ここで結婚できますか?」と聞く女子大生、どう思います?
「女性らしさを生かして」ってヘンじゃないですか。
「いつ結婚するつもり?」と部下に聞けますか?

たとえば1つ目の「私、ここで結婚できますか?」と聞く女子大生、どう思います?
「は?何言ってるの?何しにきたの?なめてるの?」・・・と、脊髄反射的に、思ってしまう。(8年目女子)
OG訪問を受けた筆者の友人もそう言う。が、しかし。就職活動をしていたころの自分をまだ覚えている、「境界線上の」筆者は言う。

彼女たちは、仕事を続けたいが故に、家庭との両立を質問するのです。が、いま社会人として働いている側の目にはその質問が「仕事をする意欲がないのでは」と受け止められてしまうのです。最初にお話しした、鼻息荒く怒っていた友人だって、2年前は同じような質問をしていたはずなのです。そして私も思い返せば…

そうだった。
氷河期で四の五の言えない状態だったけれど、「女性の割合はどのくらいですか?」「育児休暇から復帰した人は居ますか?」という質問は自分のしょぼく短い就職活動の期間でも頻繁に聞こえた。結婚で、出産で、明示的に、暗示的に、クビにされたくないからしている質問だった。でも今は同じ質問が「女が少ない職場は辛そうだからいやだ」に聞こえる。

そして後半、社会人と学生の本質的な価値観(理想的には家族重視)が同じであることを調査した後、知り合いからのコメントを参考に、「なぜ学生がこのような質問をするのか」についての別の仮説を出している。ちょっと長いけれどすごく感銘を受けた・同感できたので抜粋。
まず、今の女子学生はほかの世代よりも「結婚できるのか。家庭を大事にできるのか」ということを深刻に考えてしまうのでは、と私には思えるのです。 なぜか。それは、今の女子学生は、女性として特別扱いを受けたことが極端に少ない人生を送っている(と、私には思える)からです。同世代の友人を見ていても、女性は家庭に入ることしか道がないなどと思ったことはなく、ずっと「男女平等」、男と女は同じことができるよね、と教えられ、それを信じて育ったのでした。 そんな女性たちが、初めて自分を女だと認識するのが就職活動期なのです。 (中略)生まれてはじめての、女性としての生き方の模索。不慣れなことを強いられ、必要以上に女性らしさ=「女性だけが考えなければならないこと」を意識してしまうのではないかと思っています。 (中略)ちなみに、私にこの考えを教えてくれたのは、東京大学*1の男子四年生でした。彼は一緒に就職活動をしてきた女友達の一言に驚いたといいます。「女友達が、『子育てと仕事って、両立できるのかしら』と言い出したんですよ。びっくりしましたよ。この友人が女性だったということを初めて実感しました。(笑)おまえキャラ違うじゃんって。東大に入学する女性って、高校までは男女関係なく、のし上がってきた子でしょ。だから女とか男とかあまり意識したことがないはずなんですよ。男友達だらけだったと思うし、でも就職活動で初めて女性としての生き方があることを突きつけられて、戸惑うんじゃないですかね」

あまりにも納得できてしまって言葉もなかった。
女であるという、自分に何の責任もないのにもかかわらず理不尽な負荷と屈辱を強いられる条件。手ひどいハンデ。私は女だけど働いていけるのか?!女であることを理由に強いられる負荷を受けて、なお「仕事」をやっていけるのか?!
・・・という感じに強烈に構えてしまうのも無理はない。そうだよ、そうだったし、今もある程度そのとおり。そういえば、「男女差別が比較的少なそうだから」という理由で外資系の会社に転職したじゃないか、自分。

自分がもしOG訪問を受けて(ありえないけど)同じ質問をされたらどうだろう。
「私、ここで結婚できますか?」

・・・「ここで」「できるか」じゃなくて、「あなたが」「するか」、だと思うよ。
環境がちょっと気遣ってくれて何とかしてくれるほど女性の負担は甘くはないし、逆に環境が悪いから出来ないものでもない。趣味もそう。何が何でもやりたければどんなに忙しくてもやるだろうし、忙しいから冷めていく程度なら、もとからそんなものに過ぎず、ただ学生時代は時間があった、というだけのことではないだろうか。ちょっと自己決定論に寄りすぎだろうか。逆に言えば、制度が整っているから結婚しよう、育児休暇が整っているからさあセックスしよう!と思うかといえばそうは思わないわけで、いい男がいたから結婚したいわけであり、子供は授かりものなので、要するに環境とか制度はそもそもインセンティブにはならないと思うのだ。*2 必要なのはいい男だ。
自省もこめて書くと、(これは学者な人はあまりよく思わないだろうし、社会構造的な対応はもちろんまた別に必要だと思うけれど、) やりたいことがあるのに、社会構造的な問題や会社構造、環境の問題に対してあまりに真正面からぶつかりすぎて、萎縮しすぎるのは残念なことだと思う。男尊女卑の社会構造に立ち向かうより、彼氏に料理と洗濯の仕方を教えたほうが早いし、制度に泣くよりも、会社で根回ししたり、または転職したり軋轢の少ないところに一時的にでも逃げたほうがいい。また逆に、社会的な「やりたいこと・であるべきらしいもの」に引きずられることもないと思う。いらないならいらない、やらないならやらないでいい。自省をこめて。

*1:東大というところがなんともはや、まさに・・・納得。

*2:「給料が少ないから、非正規雇用だから子供なんて無理ですよね」というのは、「ここで結婚できますか?」とはまた別のものだと思う。