1年間で24本映画を観る指令 番外:おまえは島耕作か!「プラダを着た悪魔」

ネタバレあり。まあ、「恋に仕事にがんばるあなたの物語。」だからバレて困るネタとか別に無いですけど。

女性向けの映画特集において、百発百中で紹介されるこの映画。しかしてその実態は・・・?いや、女性版&ファッション業界版島耕作だろう。しかも、途中で仕事放棄して転職。おおおっ、おい、そりゃあないだろう!!!こんなの見ても「恋に仕事にがんばれ」とか無理だって!とはいえそういう困った映画のほうがいろいろと思うことはある。

Wikipediaより引用:概要・ジャーナリスト志望の主人公が悪魔のような最悪の上司の下で直向きに頑張る姿を描いた物語。そんな主人公の姿が同世代の女性から受け、ベストセラー小説の一つとなった。キャッチコピー: 恋に仕事にがんばるあなたの物語。 こんな最高の職場なら、死んでもいい!こんな最悪の上司の下で、死にたくない!

そ、そうか?同世代だけどあんまり・・・。単純に考えて、反面教師だろコレ・・・。ヒロインの若い女性、アンディも、上司「プラダを着た悪魔」のミランダも。違うのかな・・・。

●は「あーこわこわ、こうはなりたくないよね」☆は「ねえよ!」

  • 主人公アンディは本来ジャーナリスト志望で、ファッションに関心がない
  • ファッション業界と業界人を軽蔑し、早く文芸誌担当になりたいと思っている。
    • ●自分の仕事に重要感がないだけならまだしも、仕事全体(ここでは業界、編集部)を馬鹿にしている
  • 仕事は編集長アシスタント、ただし個人的な雑用も多い(子供の送り迎えとか)
    • ただしアメリカで秘書っていうとかなり個人的なタスクも振られるのが普通らしい:by職場の外資専門秘書
  • ファッションに興味がないので全く仕事にならず。(用語がわからない)→そのうち要領をつかんで編集長の要求をprefetchできるようになり評価される。
  • ●あまりにみっともないので哀れんで手助けしてくれる先輩ナイジェルを、愚痴のはけ口にしてついにキレられる。
    • ●仕事ができないのにやさしくしてもらいたがる。
  • 上司のプライベートに文字通り首をつっこみ逆鱗に触れる
  • ☆評価の逆転となるエピソードは運と異性頼みで解決
  • 評価されて舞い上がり、馬鹿にしていた上司/ファッション業界に自分を「乗っける」ようになる
    • ●その価値観の(ずうずうしい)変化をそれまでの友人/恋人に驚かれ、幻滅・冷笑されても気づかない
  • 努力家の同僚(先輩)は事故に遭い、都合よく海外出張同行の代役が回ってくる
  • 職人(コック)の彼氏を捨てて人気作家と×××
  • 彼氏と友人を捨ててでもついていこうと思った上司が失脚しかけて必死に奔走

そして「同年代の女性」としてなにより「どうなの?!」と思うのが、「ステキなファッションに変身・ただし自腹は切らずに(同僚に職場の服を横流ししてもらう)」・・・ファッション業界に入ったのに、身銭も切らずにスタイリストに服をあてがってもらってる人間って・・・。そんなんいるかよ!!映画だからか?「仕事を頑張ってどんどんオシャレになっていく」という視覚上の演出を入れなくてはならないのか?このあたり戯画的で、見てられない。イタい。

一方、アンディの上司、編集長ミランダの描かれ方は、同じように戯画的だけれども、メリル・ストリープの貫禄ある演技とあいまって、働く女性のありようを面白く描いているように思えた。

  • 出張先に台風が来てNYに戻れなくなり、「なんとか飛べる飛行機を手配しなさい!」とむちゃくちゃを言う。結果的に娘のピアノ発表会を見に行けなくなりブチ切れ。
    • 母性からくる女性の力×ヒステリー×権力 というかけあわせ。
  • 夫の前では強く出られない、引け目や遠慮のあるところをアンディに盗み見られてブチ切れして強烈な報復に出る。
  • 離婚することになり、ホテルの自室で落胆と疲弊の素顔を見せる。

どのエピソードもアンディと同様、戯画的なのだけれど、年齢、年を重ねるごとに持つものが多く、大きくなっていることが表現されていて、(まだ一応アンディに近い歳の自分としては)若さゆえの愚かさをアピールされるシーンよりは印象深く見られた。

特にこの最後の、ミランダが弱みを見せるところがこの話のターニングポイントになるのではないか、権力もカリスマもお金も子供も得ながら寂しさに泣く彼女を見て、アンディが自分の行き方を再考するきっかけになるのではないかと思った。ミランダになる、ではない別の道。しかしながら劇中、「第三の道」は描かれず、アンディは単純に元の道に戻ることになる。元の彼、もともとあこがれていた職場。

それでいいのか?結局、あなたが「ランウェイ」とミランダから得たものはなんだったのか?その1年はなんだったんだ?単に、寄り道とコネ作り?正直言ってそこをもう少し描いて欲しかったし、だからこそ少し、物足りなかった。きっと、同じことを思った人もいるんじゃないだろうか。槇村さとるの「リアルクローズ」、TVドラマの「アグリー・ベティ」、後追いのようなそっくり作品がいくつか出ているけど、もう一息追い詰めて欲しい、別の解を示して欲しい、と思って作られたのであればその気持ちはすごくわかる。


ところでこんな映画を連れ合いと見るというのはちょっと緊張の走るところで、見ながら「あーああー、舞い上がっちゃってるよ、仕事病だぁー、周りを見下し始めたよ、これは振られるなー」と思いそう口に出す、そう思っていることはそれはそれで嘘ではないのだけれど、「やっぱこんなんなっちゃったらあなたでもつきあいきれないと思います?」と逆に聞いているようでひやひやする。馬鹿だと思うならなら馬鹿だと言って欲しいが、それでも「何も別れなくても」と思ってほしいものだなぁと思う自分のずうずうしさも見えてきた。