クリムト、シーレ ウィーン世紀末展@日本橋高島屋

エゴン・シーレ―ウィーン世紀末を駆け抜けた鬼才 (六耀社アートビュウシリーズ)

エゴン・シーレ―ウィーン世紀末を駆け抜けた鬼才 (六耀社アートビュウシリーズ)

エゴン・シーレが来たアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!



いままでほんものは豊田市美術館でしか見たことなかったよ。。
いつかレオポルド美術館にも行くけど見られてうれしいよ。
目玉はシーレの自画像(このほんの表紙にもなっているもの)。
ウィーン世紀末展ってクリムトがメインのことが多いけれど、今回はポスターも含めてシーレがメインっぽい。(クリムトの「パラスアテネ」もよかった)
華やかで優美で生命讃歌的なクリムトと違って、精神や肉体の苦しみが現れているシーレは好みのわかれる作家だと思うけれど、メインに紹介されていて嬉しい。シーレは19点でドローイングが中心だけど、「自画像」「ひまわり」含めいくつかペインティングもあり。
面白かったのは、同世代の、シーレとゆかりの深い画家二人が描いた「エゴン・シーレ像」が、自画像と合わせて紹介されているところ。
1つめ、アントン・ペシュカの描く26歳のシーレは、スーツを着て椅子に座り正面を見つめる(いかにも肖像画らしいポーズで)、穏やかな表情の青年で、シーレ自身の自画像にあるような苦しみと自意識は感じられない。ペシュカがシーレよりもかなり年上であったからかなと思う。しかしながらぎょろぎょろした目と、節くれ立った大きな指は穏やかな表情でも隠しようもない強い印象がある。
一方、同世代で、貧窮の際に共に絵の具を分け合う仲だったマックス・オッペンハイマーの描く20歳ころのシーレ(めずらしく非常に短髪)は、シーレの描く自画像とそっくりというか、「画家は内面を表現するっていうけどここまで内面が表面にもりもり出てきちゃうと他人でもわかるんだなあ」と思えるほどだった。端的に言うとものっそい「若い傲慢さ」のようなものがあふれていていっそすがすがしい。この絵は、「困窮の際にふたりの素描を売ってきたオッペンハイマーに対して、その乏しい成果(絵の具と4つのパン)を見た際にシーレが見せた仕草と表情を表したもの」ということなのだが、これがまたすごい「見下し軽蔑目線」なのだ。オッペンハイマーよ、お前マゾなのか。そして軽蔑視線もたまらないけれど、またあの節くれ立った長い指の表情がとにかくいい。人差し指と中指、薬指と小指をくっつけた変なチョキみたいなことを両手でやっていて、ほんとうに手の表情としか言えないくらい語っている。想像してみてほしい、「美青年の見下し視線、変なポーズ」・・・もう「ジョジョの奇妙な冒険」の世界にしか見えない。とにかく手がいいよ。

ああ、なんかシーレの絵がどうっていう話ではなくなってしまった・・・でも自画像と他人による肖像の比較は面白いよ。