ラグジュアリー: ファッションの欲望 @東京都現代美術館

「ラグジュアリー」を何をもって、どのように服飾で表現するか、というテーマか。
以前「ファッションから名画を読む」で読んだように、貴重な織物、刺繍やレースなどの手工芸、金糸銀糸や宝石の縫込みなどが豪奢さの現われになるのだろうなー、しかし20世紀以降は何をもって豪奢と見るかに変化があったろうか、そのあたり何をもってくるかが面白そうだ・・・という期待を持って行ってみた。期待からすると実際の展示については半々で、期待通りもあり、もうちょっと見たかったところもあり、というところ。
第1セクション「着飾るということは自分の力を示すこと Ostentation 」については満足!18世紀、19世紀の豪奢なドレス、ロココのものは「ベルサイユのばら」の世界で、これは誰でも見たら高揚せずにはいられないでしょう!どうなってるんですかこの横長のパニエは。思いのほか男性の服装もおしゃれだった。(今だったら、ポール・スミスにありそうなすてきなプリント柄のスーツとか) 
18世紀イギリスの玉虫ドレス(玉虫が直接縫い付けられている、非常にきれいだけれど生の虫と思うと若干気持ち悪い)や、19世紀の総レースのバッスル型ドレスなども素敵。このコーナーはかなり圧倒的だった。
続く時代として、もう20世紀初頭、アール・デコのファッションになるのだけれど、最近この時代のファッション資料に関心があって、取り寄せて見ていたりしたので、ポール・ポワレのドレスが見られたのはうれしい。すとんとした直線的なラインのドレスで、ダンスのときに効果的なようにビーズのフリンジがついているもの。この時代のものはいま着られるなら着てみたい。
このセクションについては博物館的で単純な構成ではあるものの、展示品そのものが面白い。また、この時代の豪奢さのアピール方法を取り入れた、現代のオート・クチュール・デザインの展示を組み合わせて、伝統的な豪奢さの感覚がどのようにリヴァイバルされているのか見せるのも面白い。

  • 18〜19世紀フランス(一部イギリス)、20世紀初頭フランス、20世紀フランス(一部イタリア、アメリカ) ってサンプル数少ないというか偏りすぎてやしないか、一直線すぎやしないか。「豪奢さを表現するための服飾」について、地域的な広がりでバリエーションをつけるとか、たとえば着物があってもいいし、何かもう少し、時代的/地域的変化の中での普遍的テーマを見られるような展開があってもよかったかも。そういうキュレーションはダサいのかな。

第2セクション、「削ぎ落とすことは飾ること Less is more」は20世紀中盤からの流れの展示。より現実的な(着られなくも無い、売っていないこともないくらいの)服が並ぶので、利用シーンをイメージしやすい。服はどれも素敵にデザインされているが、「削ぎ落とすことがラグジュアリー」と価値観が変遷した、というほどではなく、そのような流れもまた出てきた、くらいだろうか。それとも当時は「良くデザインされている=豪華」だったのだろうか?(いまでは「まずまず良くデザインされていて、安い」という選択肢があるけれども)

  • ここでは欧米のドレス文化の蓄積を感じた。やっぱりロングドレスというものはエレガントだなぁ。若い子が着るものじゃなくて、年をとっても、美しくいられるドレスが確立している。いや、日本人も着物を着ればいいのかもしれないけど。 
  • ココ・シャネルのことば、「ラグジュアリーとは貧乏の対義語ではなく、下品の対義語」というのが印象的だった。シャネルについては確かにそうかもしれない。ややもすると下品に傾きがちになる気もするが、それを意識したものだろうか。

現代を扱った後半2セクション。「ひとつだけの服 Uniqueness」は現代のデザイナーとしてマルタン・マルジェラのかなり奇抜なプロジェクトと、特別展「冒険する精神 Clothes are free-spirited」日本の代表としてなのかコムデギャルソンを取り上げている。・・・これまでのセクションと若干主旨が違いませんか?前の2つの博物館的なピックアップと違う。。マルタン・マルジェラのリメイク作品の展示は、いろいろなもの(瓶の王冠とか陶器とかジーンズとか)の手工芸的な再構成でできており、第1セクションのような手工芸的ラグジュアリーと、「もともとはありふれたものだけれども、再構成によりたったひとつしかないものになるという価値の再発見」という新しいラグジュアリーの発見が組み合わされていて興味深い。逆にコムデギャルソンのほうはぴんとこなかった。構造が面白い、独創的であるということは・・・なんだろう。機能や生産性とかけ離れているものを身に着けるのが豪奢ということ(一見豪華には見えなくても) ?