フセイン・チャラヤン展 @東京都現代美術館

以前、新国立美術館での「SKIN and BONES 1980年代以降の建築とファッション」の展示で特に興味深かった、フセイン・チャラヤンのソロ展覧会。

  • 身体を取り巻く意識
  • 身体と密着しているものにして、一番近い「外部」「環境」
  • 身体から見たら「外部」「環境」、外部から見たら「その人間の延長線・象徴」という二面性
  • 移動できる、連れて行くことができる、体から離さないもの (「亡命」のコレクションの、家具が変形して服になるシリーズ)
  • 身体と世界との境界線で、保護とか保温とかの機能を持つもの・・・もはやいわゆる「服」でなくてもいいのかもしれない アバター化?建物化?

コンセプトモデルのようなものばかり見ていたけれど、そういえば普通に着ることができそうな格好いい服も多くて意外だった。
このデザイナーのなかで、そういう着られるような「服」をつくることと、アートの分野に近いコンセプトモデル的なものをつくることは、どうつながっているのだろう。

「111」という、機械を組み込んだ可動式の服を含んだコレクションがあったんだけど、日本人の感覚から言うと、「服に可動式の機械を組み込む?技術的にはできるけど、パリコレに出すような服がそんなんでいいの?」といいたくなってしまう。あれ、可動しているとき、モデルさんは着ごこち悪いんだろうなー。痛いか、くすぐったいかで。

展覧会としては、映像作品が多いんだけど飽きない、ちゃんと最初から最後までひとつひとつ見ようと思えたので、おもしろかったんだと思う。映像作品って、だいたい退屈なので・・・。
ただ映像作品が多すぎて、会場がやかましかった(音が混じる)のがちょっと残念。
あ、あと、オリジナル展覧会グッズとか欲しかったなー。そういうのはなかった。