最近読んだ本・・・小説など仕事以外(ミステリ中心)

年末年始に読もうと思ってディクスン・カーをいくつか借りたけど全然読んでないよ!

チャイルド44トム・ロブ・スミス 2008

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

2008年度「このミステリーがすごい!」1位。風呂で読み始めたらとまらなくなって翌日微熱が出た。スターリン政権末期での幼児連続殺人事件が主題、それを国家に背き、家族を危険にさらしてまで覆うとする諜報員の物語・・・だけどそれよりも、44人殺している殺人鬼よりも国家のほうがよっぽど恐ろしい、殺人という最大級の暴力をを任意に行使できる国家の恐ろしさに比べたら殺人鬼なんて何でもありやしない、、というのが感想になってしまう。そのため殺人鬼の印象などふっとんでしまうが・・・それでいいんだろうか。殺人鬼と主人公の関係も(なぜそこまでして、拷問や家族への迫害を受けてまで殺人犯を追求するのか、という意思が)よくわからなかった。あと、自分がアホだからなのかも知れないが、読者が解ける仕組みにはなっていないよなぁ・・・?

「プリズム」貫井徳郎

プリズム (創元推理文庫)

プリズム (創元推理文庫)

「別館三軒茶屋」さんを見て、「ひぐらしのなく頃に」を読むならコレを読め!ということで購入(してもらった)。
ある小学校教師の死を、4人の関係者がそれぞれ推理し、それぞれの「解」を見つけていくが、それぞれの解は決して相容れない。仕組みとしても面白いし、そもそも現実ってこういうものなんじゃないかと思わされる。語る人によって、被害者や関係者が「いったいどんな人物であったのか」は変わり、そしてそれらは統合されることはない。誰しもが「自分の(知っている)事実」とそこから構築した「推論」で「起きたこと・世界」を作り上げていて、他者のそれを理解することはない。竜騎士07氏が、「アンチファンタジーvsアンチミステリー」で、「もしひぐらしが『綿流し編』で終わっていたら、その時点での犯人は●●だったわけですよね?探偵が推理して、犯人も自供しているんですから。その時点ではそれが解だった。しかし我々はそれが『そうではないことを知っているわけです。・・・」のくだりで語っているのと同じことか。
もっとこういうもの読みたい。

「どんどん橋、落ちた」綾辻行人 1999

どんどん橋、落ちた (講談社文庫)

どんどん橋、落ちた (講談社文庫)

これも三軒茶屋さんから。再読。昔大学生くらいのときに読んで、「なんだこの一発芸は!!ふざけてる!なんだよもう実験的な作品とか言って、つまんねーよもう」と思ったけど、今になってやっとこれがどのような文脈で、どのような意図を持って書かれたものなのかわかるようになった。新本格の旗手であり「綾辻以前以後」とまで呼ばれる著者が、自ら切り開いてきた新本格ミステリの定義と限界にせまる実験。

  • 「犯人探し」、の定義は?(『どんどん橋、落ちた』)
  • 「解明すべき殺人事件の定義は?どの事件(殺人)が解くべきものなのかを提示する必要はあるのか?(『伊園家の崩壊』)
  • メタミステリにおける「意外な犯人」はどこまで許されるか?

主人公の「綾辻行人」は謎の訪問者U君から彼の著作を読まされて、それらについて謎解きを迫られるのだけれど、その作品や解法について不快感を抱き続けている。これはパズル的なミステリが単純に「いかに読者を裏切るか」だけを求め続けていくことに対する、過度にトリッキーなミステリに対する不快感なのだろうか。そして最後、自分の抱いていた「大きな動物が虫に食いつぶされるイメージ」で、自分がその「虫」側だったということに気づく一文は、「U君の持ってきたミステリ」への不快感が強烈な自己嫌悪だった、というミステリ界での自分自身に対する現状を思うものであった、と読んだ。

「シーラという子」トリイ・ヘイデン

シーラという子―虐待されたある少女の物語

シーラという子―虐待されたある少女の物語

父親から薦められて読んだけれど・・・児童虐待モノはやっぱりつらい。カフェで読んでいてげろげろ吐きそうになりなんとかこらえた。「星の王子様」を一緒に読むシーン、「あたしを飼いならしたんだからあたしに対して責任があるんだよ!」というところなどは希望を感じさせるが、彼女のその後を描いた続編がまたつらい内容らしい・・・。得られたものがあるとすれば、著者である教師の、子供たちに対する忍耐深く、尊敬に満ちた態度。暴れてほかの子供に被害を与えた子供は、教室のすみにあるスペースに行かなくてはならないのだけれど、それは「自分をコントロールできるようになるまで、そこにいなさい」ということのためであって、「おしおきの場所」ではないのだなというところが興味深かった。自分が親だったらそのように振舞えるだろうか。