正論とどう生きるか「図書館戦争」シリーズ

いまさらながら話題のライトノベル図書館戦争」シリーズを全4巻一気読みしました。
著者の本は「空の中」「塩の街」に続いて3つ目。(←この2つはちょっといまいちだった)

図書館戦争

図書館戦争

図書館内乱図書館危機図書館革命

最初、「やっぱ私の歳になるとちょっとこのテの話はキツイなー。対象年齢超えちゃった感じ?敵が敵すぎるよ。敵側の考えとか言い分とか、全然出てこないじゃん?敵は悪いやつ倒せ!、でスカッとするなんてさぁ、中学生まででしょ。まあもうちょっと何巻か読んで成長するか見ようか」なんてスレた見方をしてたけれど・・・。

2巻目に到ってやっと、おそらく、これは「正論」についての話なんだろうと思った。
人が正論をどう利用するか。悪用するか。正論同士がぶつかるか、正論でないものを覆うか。

そして、それを念頭に置くと、「敵」が徹頭徹尾「敵」でしかない理由もわかったような気がする。
「味方」の陣営の中ですら、正論は揺らぎ、歪む。
仲間の間ですら、正論がすれちがい、相容れることの出来ない事態が発生する。
いわんや敵においてをや。

1エピソードを敵視点で語って、敵・検閲を執行する「良化委員会/良化特務機関」の信じる正論を、読者がつい納得して肩入れしてしまいたくなるように描けば、それで葛藤するでしょ?「貴方の気持ちもわかるけれど私はこの信念を曲げることが出来ない!」みたいな?「敵」側にたっぷり感情移入させて葛藤、させてもいいけど、そんなさぁ、それくらいで自分があっためてきた正論が揺らぐか?そもそも、聞きもしないよね。敵の正論聞けるほど人間出来ていないよね。断言してもいいけど敵の正論なんか本気で聞く気ないよね。脊髄反射だよね。で、それ以前に、味方にすら正論の基盤は固まってないし、ちょっとの違いで裏切り者扱い、裏切り者叩きだよ?それでも正論を、使いますか?敵の正論を、聞きたいですか?

ということを著者に突きつけられているような気がした。4巻「図書館革命」巻末で、良化委員会からの視点は意図的に書いていない、という趣旨のコメントがあり、自分としてはなんとなく裏づけを得られたように思う。


それはさておき、単純に、やっぱりじれラブ*1はいい・・・!じれラブは日本の宝だ・・・!というところだけで楽しんでもいいと思いますよ。

*1:じれったいラブのこと